聖ヒルデガルト

ヒルデガルト・フォン・ビンゲン
ヒルデガルのイメージ © YASUYO

聖ヒルデガルト

ヒルデガルト・フォン・ビンゲンの名前は日本でよく聞きますが、実際にはヒルデガルトという人が誰だったかを知っている人は少ないでしょう。

中世ヨーロッパ、ドイツの歴史の中で一番有名な女性実力者です。
ベネディクト会の実業家、修道院長、詩人、作曲家、博学者。数々の音楽(曲)と本を残したヒルデガルトは誰だったでしょうか?


ドイツ語では、Hildegard von Bingenといいますが、日本語の発音はヒルデガルドではなく、ヒルデガルトです。

ヒルデガルト修道院の庭のラベンダー© BerlinJapan.com

心と体の健康・ヒルデガルトの教え(ヒルデガルト療法?)

聖ヒルデガルトの一番大きな社会的な役割は現代語にすると「スピリチュアルケア」「スピリチュアル・ティーチャー」=心の健康とメンタルケアの先生に当たります。

中世医学の一部である修道院医学の医師としてのヒルデガルト・フォン・ビンゲンの教えは特徴は女性健康を大切にしたことは日本ではまだ余知られていないかもしれません。


心のケア」のウィキペディアの定義は、「生きがいを持ちやすい人生観」への転換を推奨し、人生のあらゆる事象に価値を見出すよう導くことにより、人間のスピリチュアルな要素(心あるいは魂)の健全性を守ることである。」


現代社会のスピードのはやい人生の流れ、自分を見失いやすい日常、価値観の分かりにくい生き方の中、ヒルデガルト・フォン・ビンゲンの教えはどこの国々の人にも必要だと思います。

ベルマースハイムの紋章 ©ドイツ連邦共和国

ヒルデガルト・フォン・ビンゲンが生まれた地域ベルマースハイムの紋章

ヒルデガルト映画

ドイツ国営テレビ局ZDF・ヒルデガルト歴史映画(公式サイト)

1970年にオーストリアの医師によって導入された「ヒルデガルトの療法」は今も販売促進用語として様々な会社で使われています。1179年に亡くなったヒルデガルト・フォン・ビンゲンのトレードマークもコピーライト問題も発生しませんから、便利だと思います。

ヒルデガルトの生涯

ヒルデガルト・フォン・ビンゲンは81歳頃に他界。中世ヨーロッパの修道女の平均寿命が40歳、庶民女性の平均寿命は30歳以下、その時代に80代まで生きられた病弱なヒルデガルトの生涯は、奇跡でもあり、ヒルデガルトの教えの正しさの証拠でもあります。

生誕(?1098年5月1日と1098年9月17日の間)

生まれた場所

神聖帝国のドイツ王国で地方貴族生まれる。

父:ヒルデベルト

母:メヒティルト

ベルマースハイム、現:ドイツ、ラインラント・プファルツ州;

フランクフルト空港から60キロぐらい、車で30分程度

8歳

社会的仕来りと両親の判断で10番目の子として(教会税金10%ルール)修道女になるために修道院学校に預けられる。先輩のユッタ・フォン・シュポンハイムの見習いになり、就業を始めます。祈る、学ぶ、働くルール。

14歳・1112年

ベネディクト派ディジボーデンベルク男性修道院の女性部門(Klause)の修道女になります。

修道院では自給自足のため、庭仕事や畑仕事、衣類の仕立てなどもしていた。

38歳・1136年

Magistraのユッタ(45歳ぐらい)が亡くなる時、女性部門は修道院のサイズになっていました。ヒルデガルトは後継者Magistra(先生)として選ばれます。ディジボーデンベルク修道院の禁欲主義ルールの反対派として、ヒルデガルトは独立した女性修道院の設立を目指す。

43歳・1141年

体の状態の変化や病気(偏頭痛等)のためと考えられ、見えるビジョン(ヴィジョン)の数が増えて、ヒルデガルトが書籍を書き始める時期。著書Scivias「(神の)道を知れ」を書き始めます。アシスタントの修道士のフォルマと修道女のリチャルディスと一緒にラテン語で書きます。

49歳・1147年

ヒルデガルトの著書がローマ教皇エウゲニウス三世にキリストの名において、公にすることが許可されました。ヨーロッパのキリスト教会歴史上、初めて女性が書物を書いて公にすることができました。

この頃から宗教曲の作詩作曲を始めます。Symphonia armonie celestium revelationumと言うコレクションに77曲があります。

49歳〜52歳・1147年〜1150年

ヒルデガルトによる新しい修道院・ルッペルトスベルク修道院設立。貴族の女性のみの修道院でした。(1632年に三十年戦争で崩壊)

50歳〜60歳・1148年〜1158年

ヒルデガルトの植物・ハーブ・人間の健康と医療等についての書物PhysicaとCausae et curae

ハーブ、木、石、動物、金属類の医療効果についての部分もあります。

67歳・1165年

ルッペルトスベルク修道院の人気のため、ライン川周辺の修道院・アイビンゲン修道院買収。アイビンゲン修道院が庶民の女性も受け入れる施設になりました。今も存在している女性修道院です。中世ヨーロッパの修道院の役割を果たすヒルデガルトの修道院も薬草の知識を病人のために解放します。

50歳〜75歳・1148年〜1173年

ローマ帝国各地で説教旅行を積極的に行います。政治的な力と宗教的な力を持つようになるヒルデガルトのアドバイスに従うのは、フリードリヒバルバロッサ王も含めて、公王・貴族などが多かったです。ヒルデガルトの「スピリチュアルの師・心ケア」の役割の最高潮の時期です。

82歳

1179年9月17日にビンゲンのルーペルツベルク修道院で亡くなる。

ヒルデガルト・フォン・ビンゲンは修道院長でしたが、もちろん時代の医学の知識を持った施設のマネージャー、医師・研究家としての活躍もしていました。


中世ヨーロッパの医学は主に修道院医学=修道院医療でした。修道院医学の中心は薬草・薬草学でした。

ヒルデガルト・フォン・ビンゲン
聖ヒルデガルトの像©St. Hildegard Abtei

医学の歴史とドイツ料理の歴史に大切な役割を果たしたヒルデガルトの大切な著書の中で中央ヨーロッパの植物・ハーブについての知識をまとめ残しました。それについて、今もドイツ国内の大学や医薬品企業も研究と分析を続けています。
音楽、宝石、人間の体、宇宙についての考えなど様々なテーマを研究したヒルデガルト・フォン・ビンゲンが2012年10月7日、ローマ教皇ベネディクト16世から教会博士の称号を与えられました。

ヒルデガルトは、心と体は一つであることに基づき、体と心のバランス(メンタルケア・考え方・聖ベネディクトゥスの教えに従った人間系作り)と食べ物(ハーブ・スパイス・ワインも)を健康的なライフスタイルに大きな関係していると伝えました。

彼女の考え方に基づき、自分の心と体の健康バランスを大事にしたい人、日本の伝統的な自然に対してのアプローチと国内の食材を使い、自分を整えることができます。

ドイツ修道院医学
ディジボーデンベルク修道院の遺跡 ©WikimediaCommons

商品化されたヒルデガルトの名前は様々なところで使っていますが、ヒルデガルトの秘伝的なレシピは存在していませんから、キッチンハーブやメーディカルハーブや食材・植物の力・成分を知れば、日本の農家の物でも、庭でも育った植物を使い、ヒルデガルトのアプローチで体を整えます。

間違った変な日本語がありましたら、大目に見てください:)日本語の文章を書くより話す方が得意な私ですが、ブログでドイツの知恵と豆知識、観光、外国語の情報を伝えていきたいと思います。